終わりを感じてみる、ということ

 

184日続いた大阪・関西万博が、とうとう閉幕。
(私は通期パスで何度も通った「ガチ勢」でした)

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真夏を過ぎて、もうあと数回しか行けないんだ…と思ったとき、
ふといつもの景色が違って見えてきた。

半年間、あんなに賑やかで、暑い日も雨の日もよく歩いて、よく食べて、よく並んだのに。

「ああ、もうすぐ終わるんだ」と思った瞬間、一つひとつの体験が急に愛おしくなる…

でもこれって、万博だけの話じゃないのかも。


私たちは「終わる」と知った瞬間に、やっと“今”を大切に抱きしめようとするところがある。

以前一年間過ごしたカナダから帰国する時にも味わったことがある感覚だ。

最後に会っておきたい人を訪ね歩き、
お気に入りのお店のあの料理を食べ納めして、
いつもの道、地下鉄、スーパーなんかまで写真を撮ったり…

どれも普段はスルーしていたのに、終わりを意識した途端に次々にスポットライトが当たる。

全てがキラキラして、無性に愛おしいのだ。 


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そしてもうひとつ、終わりを意識することで気づくのは

「自分がいなくなった後も、世界は続いていく」ということ。

万博が終わり、あの広い会場も片付けられて、建物も景色も音も消えていく。
それでも地球は何事もなかったかのように回っていくし、人々は移動し、季節は巡っていく。

自分がいた場所から、自分の痕跡が消えていく…

寂しいような、でももうすべてを諦めて手放してしまいたいような、不思議な気持ち。

✈︎

 

こういう“小さな終わり”って、もしかしたら人生の縮図みたいなものなのかもしれない。

終わりを意識することで、やっと「今ここにいる」と実感できる。
万博ロスを感じるのもある意味、ちゃんと楽しんで、ちゃんと生きてきた証拠。


万博閉幕から2日目の今日、まだ心にぽっかりと穴が空いたようではあるけれど、こうして想いを綴っていると感謝の気持ちが込み上げてきた。


実は、これはヨガにも通ずるものがあって。

呼吸とともにじっくりとポーズの練習をしていると内側に意識が向き、色々な感覚が冴え渡ってくる。

今日があるということ。
今ここに生きているのだということ。

遠くに行ったり、何か大きな出来事がなくたって、日々のヨガの中でも小さな「生きている実感」は得られるのだ。

当たり前のような毎日も、この身体も、いつかは終わりが来るから。
少しでも実感をもって、感謝をして日々を過ごそう。

やさしく、美しく、豊かな人生のために。

✈︎

私はそんなヨガが大好きだから続けているし、ご縁があった方にお伝えしていきたいと思っている。

まだまだヨガのこと、様々な想い…シェアしたいことが沢山。
これからのんびりマイペースに綴っていきます。

今日もそこに居てくださって、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

ナマステ♡

Yüm